東区画の猫 虹色犬の場合
 
 


「いいいっ、戌井さん!」


思い切って少し大きな声でそう呼び止めると、前方を歩く虹色頭の青年はぴたりとその足を止めた。
「んー?」
気だるそうに、後ろを振り向いた戌井さんは、私の顔を見るなりにっこりと笑った。
「よう潤ちゃん。久しぶり」
「お、お久しぶりです」
戌井さんはその満面の笑みのまま、こちらに近づいてくる。思わず俯いて、前髪で自分の表情を隠そうとするけれど、
すんでのところで戌井さんの手によって遮られる。戌井さんはするり、と私の前髪を指先で掬い、そのままそれをか
き分ける。
 

「良かった、一日中探してるのに見つからないから、今日は逢えないかと思ったぜ」
「え?」
「だって今日バレンタインデーだろ?」
「な」
「チョコレート、俺にくれるよな?」
「なななななな、」


なんのことですか、と慌てて誤魔化してみるけれど、肝心の戌井さんには最初からバレバレだったようで、私の動揺
ぶりを見ながら戌井さんはますます嬉しそうに頬を緩ませる。すると、戌井さんはおもむろに先ほど私の髪を掬いあ
げた指をそのまま顎にまで滑らせて、くいと小さく持ち上げた。私と戌井さんでは戌井さんのほうが長身なので、そ
うすると自然に私は戌井さんと至近距離で見つめあうような形になる。キスだって出来そうなほどの距離で戌井さん
の呼吸を感じて、言葉にもならない恥ずかしさで思わず顔をそむけようとするけれど、戌井さんに掴まれているせい
でそれさえ満足にできない。
じっとりとこちらを見る戌井さんの目はそれはそれは心底楽しそうで、どうみても私の反応を楽しんでわざとやって
るということはわかるのに、そんな戌井さんの表情にさえ心臓が高鳴ってしまう。
 
「…い、戌井さんのご迷惑で、なければ」
 
羞恥でもう死にたくなりながらも、小さな声でそう白状すると、その瞬間、戌井さんに抱きしめられた。
 

「えええっ!」
「あーもう可愛いな潤ちゃん」
「いいっ戌井さっ」
「チョコレート渡すために、俺のことずっとここで待ち伏せしてたんだろ?こんな寒空の下、一人でよ」
「うわああなんでそのこと知ってるんですかぁ!」
 
頭が真っ白になりながらも必死で戌井さんに抗議すると、戌井さんはやっぱり楽しそうに私から離れた。
 
「ありがとな、潤ちゃん」
「は、はい…」
「お礼に飯奢らせてくれ。竹さんとこのラーメンだけど」
 
な?いいだろ?と戌井さんは私を見つめて、そう尋ねた。私がその申し出を断れないことを誰よりもよく知っている
というのに。戌井さんは意地悪なのだ。黙って小さく頷くと、戌井さんはにっと笑ってそのまま私の掌を掴んで歩き
だす。初めて感じるその手の感触に鼓動が高鳴る。どうか、どうか
「(時間がもう少し、ゆっくりと進みますように)」
 
 



 → HAPPY VALENTINE! 
 
 


 
「あ、だけどチョコレートはまた後でな」
「え?」
「野次馬のいない、二人っきりのときに」
 
 






「さすが戌井。やっぱばれてたか」
「バレるに決まってんだろ!つーかこんな雑な尾行が潤にバレなかったことのほうが不思議だ!」
「そりゃあ今日の潤ちゃんは戌井のことで頭いっぱいだからね」
「なんてこっタ!これじゃあ失敗じゃないカ!
せっかく潤ちゃんと戌井君が結ばれる瞬間を映像に残そうとしていたのニ!」
「ボスも懲りないね」
「あたりまえだヨ!潤ちゃんはうちの大事な大事な護衛部隊隊長だヨ?
その子の晴れ舞台だというのに東区画のボスが黙っているわけにはいかないじゃないカ!」
「あれ?てーことは戌井のことは潤ちゃんの相手として認めたのか?」
「そんなわけないヨ!二人が結ばれた直後に戌井君は何者かの襲撃にあって殉死するのサ!」
「やっぱそれが目的かよ!」
「ていうかあいつら二人とも、もう結ばれてるだろ」