唐突に涙腺がオーバーヒートしてメインカメラがやられた。
ぼたぼたとまるで堰を切ったように流れ始めたその、涙を真似た偽物が、素知らぬ顔で
僕を責め、不透明な罠を忍ばせていく。
この唐突に始まる攻撃に、抵抗など何の意味も為さないことを僕は経験で理解しているものだから、
だんだんと狭くなっていく視界を野放しに、部屋の端へと眼球を動かした。
液体を含んで滑りが良くなったそれは、僕の意志とは関係なく、その場に居たそいつに焦点を
合わせるようにして停止したけれど、わざわざそれを意識することすら今の僕には億劫に感じた。
そいつは、そんな僕の様子をニヤニヤと愉快そうに観察して、じっと僕を見つめている。
僕のドッペルゲンガーらしいその表情の裏にいったいどんな心理があるのか、わかりたくもない。が、
きっと心中では腹を抱えて笑い転げているに違いない。
「あら、可哀そうに」
「うるせえよ」
するりと無造作に伸ばされたその指先を避けるのも面倒でそのまま無視を決め込めこんだ。
だから、いとも簡単に湯女のそれは僕の顎をとらえて、促すように僕と湯女の視線が交差する。
「…」
「…」
僕の無言と、湯女の無言。残念なことに僕らは鏡に移したように同一なものだから、呼吸すらよくわからない。
涙でかすむ視界はどうやら五感すらあやふやに進化させてしまったようで、かろうじて僕にもわかったのは、
異様に冷たい彼女の指の感触だけだった。
その、冷たさに僕が口を開くよりもさきに、彼女の寄せられた舌先が
僕の頬に残留していた僅かな塩辛い液体を誘拐して、そのまま喉元へと流し込む。
湯女の表情は先ほどとまったく変わりはなくて、相変わらず吐き気がするほど僕に似ている。
顔を至近距離で寄せたまま、僕と湯女はお互いにその奇奇怪怪な行動に眉をひそめる。頬に残るべろりとしたその感触に、
自発的に頭の端に、いつかの看護婦さんが思い出される。元気だろう。
と、いうか、女性に頬を舐められる経験って男子学生にはまあまあよくあることなんだろうか。
今度、恋日先生に尋ねてみたい、覚えていたら。
「なに」
「いえいえ、特に意味は」
同じ味なのかを確かめようと思っただけよ、と彼女はそう言ってまた笑った。そういう馬鹿げた行動をするところまで、
僕と彼女はよく似ている。「同族嫌悪」とはもしかしたら僕らのために作り出された言葉なのかもしれない。
ああなんという有難迷惑。




涙の定義 12/05/24